
朝ドラ『らんまん』や多数のドラマで活躍する俳優・志尊淳さん。その爽やかな笑顔と確かな演技力で人気を集める彼ですが、その裏には波乱に満ちた母親との関係性があります。
志尊さんと母親との間にはどのような出来事があったのでしょう。
中学時代のダイエット
志尊さんの少年時代は、想像以上に「普通の少年」だったようです。小学校高学年から中学時代は野球に打ち込むスポーツ少年でしたが、当時は現在のスタイルからは想像もできないほどの体型だったといいます。
「身長は現在(178センチ)より10センチ低い168センチ。それなのに、体重は73キロもあった。ぽっちゃり体型だったんです」
そんな中学3年の夏休み前、母親から一つの提案がありました。
「1キロ痩せたら1000円あげるよ」
この何気ない母親の一言が、志尊さんの人生を大きく変えることになったようです。
お小遣い欲しさにダイエットを決意した志尊さんは、絶食とランニングを繰り返す過酷なダイエットに挑みました。
あまりに無理をしたため、一度は倒れて点滴を打つまでになり、さすがに母親に止められたそうです。
しかし努力の甲斐あって、夏休み明けには18キロの減量に成功。なんと72kgから54kgまで成功!
友人から「脂肪吸引した?整形したの?」と驚かれるほどの変身を遂げました。もともとキレイな顔立ちだった志尊さんは、激ヤセして周囲の反応が一変。「周りの女性の対応も掌返しで変わってきた」とのこと。

そりゃそうだよね!志尊君、男から見ても美形だもんね!
この体型の変化がきっかけとなり、スカウトされて芸能界入りするという、まさに人生の転機となったのです。
17歳の決断とは?
しかし、芸能活動を始めたことで新たな問題が生まれます。
志尊さんが17歳の時、家族とのすれ違いが起き、思い切った決断をします。
「僕、17歳の時に家出をして、2年ほど一人で生活したんです。『テニミュ』への出演が発表されると、兄や姉は「”志尊”って、あなたの弟?」と聞かれたりしていたそうで、ストレスもあったと思います。けんかになることが増えてしまって……」
出典:婦人公論
芸能界で揉まれ、悩み苦しむ自分の気持ちをうまく家族に伝えられなかった志尊さん。
「自立しなきゃ」との思いから、住民票も移し、約1年間家族との連絡を絶つという強硬手段に・・・。
家を出る際、たまたま祖母に見つかり、「顔面蒼白で涙流して『淳、どこ行くの?』って言われた」そうですが、それでも「ごめん」とだけ言って家を出たようです。
「末っ子の聞かん坊で一番手を焼かせた僕が勝手にいなくなり、シングルマザーだった母はすごく悲しんだみたいです。」
志尊さんは後に「あの時の自分の心情を正直に言うと、心配もされたかったんですよね。気づいてほしかった」と心の内を告白しています。
家族との再会
1年後、家族とついに再会!
「1年経って家族に再会した時は、兄からは殴られ、姉からは『二度と帰ってくるな!』と怒られ、母と祖母は大号泣。それを見て苦しくてしかたがなかったけど、自分で決めたことだし、やらなきゃと。」
出典:婦人公論
母親は大号泣し、兄は「母親泣かすってどういうことかわかっているか」と初めて志尊さんを殴ったといいます。
家族との再会は辛いものでしたが、この経験が志尊さんに家族の大切さを教えました。
「今はこの経験があってよかったと心から思っています。2年間、バイトをしながら学費や生活費を工面したことで家族の偉大さもわかりましたし、自分も成長できましたから」と、当時を振り返る志尊さん。母親も「淳が突然いなくなったことで子離れができた」と話しているそうです。
志尊淳、激動な半生を涙で語る
— モデルプレス (@modelpress) May 24, 2025
両親の離婚、17歳で家出
「誰も応援してくれてない…」
死を覚悟した大病、毎日送った“遺書”
「母親の子どもで生まれて、幸せだった」
📺️25日放送「おしゃれクリップ」https://t.co/DyOR5dyD7Z#志尊淳 @jun_shison0305 pic.twitter.com/Xeu2rFNzfN
母と祖母の病気
志尊さん自身も2021年に急性心筋炎を患いますが、その2年後には、母親がくも膜下出血を発症。さらに祖母も大病を患い「今も生きているけどほとんど動けない状態」という厳しい状況に。
「結構ぐちゃぐちゃになった。どうなっちゃうんだろうな」という状況だったと当時を振り返る志尊さん。
2025年4月には、病床にある祖母とのやり取りを公開。志尊さんの出演ドラマのタイトルを間違える祖母に「闘病中の大好きなおばあちゃんにドラマの宣伝をする孫(30)見てもらうまでにはまだまだ時間がかかりそうですが、諦めません」と投稿し、多くの人々の心を打ちました。
志尊さんにとって祖母は特別な存在。「僕の作品を見ることが生きがい」と言ってくれる祖母のために、今も仕事を頑張っているそうです。
母への恩返し
家族との絆を深めた志尊さんの目標は、母親への恩返し。
シングルマザーとして苦労して自分を育ててくれた母親のために、「母親が一生暮らせる家を建てること」が目標だと語っています。
また、母親の50歳の誕生日には「50歳の誕生日おめでとう。これからも元気でいてください」というメッセージを贈るなど、今では家族との絆を大切にしています。
志尊淳と母の絆の物語
中学3年の夏―母の優しさが生んだ奇跡
「1キロ痩せたら1000円あげるよ」
そんな母の言葉が、少年の心に火をつけた。
遊び盛りの中学3年の夏、志尊淳は18キロものダイエットに成功。
そこには、ただの金銭的な約束ではなく、息子を信じて支え続ける母の愛情があった。
母の背中を追いかけるようにして、彼は変わり始めた。
17歳―心の距離と、1年の沈黙
芸能活動をめぐる家族との衝突。
夢を追いたい気持ちと、理解されないもどかしさに押されて、彼は家を出た。
それからの約1年間、家族とは連絡を絶つ。
その沈黙の裏には、ぶつけどころのない孤独と葛藤があった。
18歳―再会、そしてあふれた涙
久しぶりに帰った実家。
玄関で迎えてくれた母と祖母の顔には、涙が伝っていた。
その瞬間、胸の奥にしまっていた「家族」という言葉が、ゆっくりとほどけていった。
家族の温かさ――それは、遠く離れて初めて気づいた、かけがえのない宝物だった。
同年―夢の扉が開く
再び前を向いた志尊淳は、すぐに大きなチャンスをつかむ。
『烈車戦隊トッキュウジャー』で主役に抜擢。
子どもたちのヒーローとして全国のテレビに姿を現すと、俳優としての道が一気に開けた。
あの時、母が信じてくれた夢の続きが、ここから始まった。
2021年―命と向き合う試練
順風満帆に見えたその矢先、志尊は急性心筋炎という重い病に倒れる。
生きることが当たり前ではないと知った日々。
ベッドの上で支えてくれたのは、いつも変わらずそばにいてくれた母の存在だった。
2023年―母と祖母の体に忍び寄った影
今度は母が、くも膜下出血に倒れる。
さらに、祖母も病に苦しむことに。
かつて支えてもらった二人の姿が、弱っていく現実。
志尊は改めて、家族への恩返しを心に誓った。
現在―母への約束
「いつか、母が一生安心して暮らせる家を建てたい」
その想いを胸に、彼は俳優として、ひとりの人間として歩みを続けている。
過去の葛藤も、涙も、すべてが今の原動力になっている。
母とともに乗り越えてきた日々――
それは、かけがえのない人生の軌跡だ。
まとめ
俳優として輝かしい活躍を見せる志尊淳さんですが、その裏には母親との確執や対立があったようです。
反抗期の家出、再会と和解、そして母親の病気と、様々な出来事を通じて深まった絆。
志尊さんは言います。「この経験があってよかったと心から思っています」と。時に衝突し、時に離れ、そして再び寄り添うことで生まれる家族の絆の大切さ。志尊さんの歩みは、誰もが持つ「家族」との関係を考えさせてくれます。
「志尊」という珍しい名字だったからこそ頑張れたというのはありますね。だって、「志」が「尊い」んですよ。そんな名字を持つ人間がいい加減に生きていたら、だめですもん(笑)